日本でマラソン大会と言われて真っ先に東京マラソンを挙げる人は多いと思う。この東京マラソンも含め「ベルリン」「ニューヨーク」「ロンドン」「シカゴ」「ボストン」はシックスメジャーズと呼ばれ、世界中のランナーにとっては参加そのものが憧れだったりする。なぜ憧れになるかと言うと、まず大会規模が大きく沿道で応援してくれている人達が参加している自分自身を讃えてくれる、というところに大きな魅力を感じる。また大会にもよるがこれらの大会は基本的に参加権が抽選となっていてプレミア化している点もある。海外からの参加者はツアー申込で自動的に参加権が与えられるという特例はあるものの、その参加権さえも国ごとに参加人数が割り当てられていて、枠がいっぱいになったら締め切り。なかなか参加できないのだ。
また参加費も各大会ともに高額。円相場にもよるが、比較的安いベルリンマラソンで3万ぐらい。ニューヨークシティマラソンは10万円ぐらい。もっとも高額なのはロンドンマラソンで25万円以上。ロンドンはチャリティ大会としての趣旨があるのでこういう金額になっている。こう考えると東京マラソンの参加費はまだまだ良心的ですね。
ボストンマラソン初の世界最高記録とアジア人初の優勝
さて、映画「ボストン1947」はシックスメジャーズの一つ、ボストンマラソンが舞台。映画は実話に基づいて作られている。映画の舞台は終戦からわずか2年の朝鮮半島。当時は日本の植民地支配から抜け出し、独立に向けて歩み始めた頃の話。戦前、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝したソン・ギジョン(孫基禎)は、朝鮮民族でありながら日本国籍でオリンピックに出場。孫氏にとっては朝鮮民族でありながら日本人としての金メダリストという複雑な立場を整理できないまま過ごす、という背景を持っていた。そんな中、将来有望なランナーを見つけ、もう一度マラソンで朝鮮民族としての誇りを取り戻す機会を見つける、という筋立てである。
植民地支配が終わったとはいえ、まだ独立国とはなっていない朝鮮半島。日本に代わってアメリカが統治国となっている中、国外に出ることはもちろん、国際大会に参加するための困難が待ち受けている。また記録重視のボストンマラソンの参加のためにはその前に公式な記録を得ておく必要がある、など数々の困難が待ち受けている。そこを一つ一つ乗り越えていく、というのがおおむねのストーリーである。
このストーリーの根底にあるのはスポーツに対する情熱はもちろんだが、愛国心も重要なテーマ。朝鮮民族として、国を代表した選手として国際大会に出場できなければ意味が無い、そこを理解したうえでの参加であってほしい、というのがこの映画の根本と言って良い。結果的にこの大会に参加した徐 潤福 (ソ・ユンボク)は2時間25分39秒、当時の世界最高記録で優勝する。
どんなアスリートでも食事内容や道具が十分そろっている中でもレースでベストを出す、というのは難しい。ましてや国内外の情勢が安定していない中で大会に参加し、優勝と世界記録を達成するというのは奇跡に近い。またこの記録はボストンでは初の世界最高記録(当時)でありアジア勢の優勝もこれが初。この出来事がいかに偉業と言えるかがわかる。
体脂肪率6%の役作り
朝鮮半島におけるこの時代を描こうとするとどうしても民族主義的な話になりがち。また日本はその悪の対象として描かれることも少なくない。この映画でもチラチラそういう場面があるものの、基本的にスポーツという題材が維持されたのでそういう面では純粋に楽しめる映画だった。主人公がレースの終盤に異常な追い上げを見せる場面は「ちょっと大げさかなぁ」と思われたが、主人公のソ・ユンボク役のイム・シワンはこの役作りのためにトレーニングを重ね、体脂肪率6%にした、というからそれなりの準備はしたのだろう。そういう思いは伝わった。
ボストンはあらゆるランナーから支持される大会
話をシックスメジャーズのボストンマラソンに戻すと、この大会は6大会の中で最も歴史が古い。1897年の創設で近代オリンピックと同じぐらいに歴史ある大会。参加費は約3万5,000円なので6大会の中ではそれほど高額ではないが、参加するためには一定の記録を持っていないと参加できない。各国公認大会と呼ばれる距離が正確な大会に参加して各年代別で割りあてられた正式タイムをクリアしていないと参加できない仕組みになっている(ツアー枠に限りタイムの制限はなし)。
ただし、現在のボストンでどんなに好記録を出しても「世界最高記録」とは認められない。2004年のマラソンコースにおける記録の条件が定められ、コースの高低差とスタート~フィニッシュの直線距離の規定により、ボストンはこの条件を満たしていないのだ。それでもボストンマラソンの歴史や権威は今でも薄れることなく、エリートランナー、一般ランナー含めて多くのランナーを引き付けている。