Rock in a hard place(邦題:美獣乱舞) 1982年
エアロスミスを語る上で、どうしても触れなければいけないのがこのアルバム。いわば「エアロスミスの黒歴史」と言って良い。彼ら自身、このアルバムに対する評価、あるいは音楽関係者からの評価でも「そう悪くはない」という意見もあるよう。だが、少なくともファンの間では高評価とは言えない。
”エアロサウンド”の欠如
何が良くないのか。単にジョー・ペリーがいない、ブラッド・ウイットフォードが途中で抜けた、というだけのものではないだろう。単純に言えば「エアロサウンドの欠如」だ。例えば印象的なリフレインがあまりにも少ないなど、ファンが期待する音楽づくりに至っていない。不朽のアルバム「Rocks」までたどり着きながらもその前まで後退した感じ。「Get your wings」に見られるような迷いが感じられて仕方がない。
もの足りない要素はいろいろあると思うが、そこに至った最大の原因はエアロスミスとしての構成を練った感じがしないことにある。例えば「Draw the line」でも彼らは苦しみつつも様々工夫をし、バンド内の意見を交わしてあのサウンドを作り上げたと思う。が、今回、それが感じられないのだ。曲自体はスティーブン・タイラーとジョー・ペリーの後釜となったジミー・クレスポを中心に作り上げた。しかしオリジナルメンバーが2人も抜けてバンドのパワーが維持できるとは到底思えない。プロデューサーにはアルバム「Draw the line」まで担っていたジャック・ダグラスが復帰したのは朗報としても、曲作り、アレンジもスティーブン・タイラーが中心にならざるを得ないのではないかと想像できる。が、そのスティーブン・タイラー自身が問題を抱えていた。
1.Jailbait
2.Lightning strikes (*1)
3.Bitch’s brew
4.Bolivian ragamuffin
5.Cry me a river(*2)
6.Prelude to Joanie(*3)
7.Joanie’s butterfly(*4)
8.Rock in a hard place(*4)
9.Jig is up
10.Push comes to shove(*3)
(*1)スティーブン・タイラー、ジミー・クレスポ、リチャード・スパの共作
(*2)アーサー・ハミルトンのカバー曲
(*3)スティーブン・タイラー
(*4)スティーブン・タイラー、ジミー・クレスポ、ジャック・ダグラスの共作
上記以外、スティーブン・タイラー、ジミー・クレスポの共作
プライベートもビジネスもトラブルだらけ
スティーブン・タイラーはジミー・クレスポに対して「エアロスミスらしく弾いてくれ」と要求したという。要するにジョー・ペリー風に、と依頼したのだろう。ジミー・クレスポ自身「このアルバムでは気に入っている曲はあるけど、この演奏は自分らしくない」と言っている。それはそうだろう。エアロスミスのギタリストとして演奏することは喜ばしいこととしても、前任と同じように、と言われて面白いはずがない。
またブラッド・ウイットフォードが抜けた後に入ったリック・デュフェイは「スティーブンは2年間で何とかアルバムを完成させようとしたがなかなか進まなかった。(中略)私は彼の“尻拭い”をやってようやく進めることができたんだ」と語っている。
要するにスティーブン・タイラーのドラ〇グ依存が酷く、曲作りが全く進められなかったのだ。周りのメンバーやスタッフが協力してようやくアルバムが完成した、というわけである。実際、このアルバムの制作時期に当たる1980年頃のスティーブン・タイラーはビジネスもプライベートもトラブルだらけ。ツアー中に精神科医が帯同したこともあったという。
・メイン州ポートランドの公演中にステージで倒れて公演中止
・ひどく酔った状態でマサチューセッツ州ウースターの公演中に倒れて公演中止
・バイク事故で負傷して2か月入院
・ニューハンプシャーで交通事故。ポルシェを真っ二つにした
ほぼ破綻している。今から考えると、よく今まで生きてこられたと思う。当然、この状況でビジネスにも影響が出てくる。ライブでは大きな会場を埋めることはできなくなり、クラブや劇場を会場にすることしかできなかった。ドラ〇グはバンド内だけでなく、スタッフにも広がり、次々と姿を消していく。これで活力あるアルバムが作れるかと言うとさすがにそれは無理と言うもの。1984年にジョー・ペリーとブラッド・ウイットフォードが復帰するが、彼らの依存症との戦いはその後も続く。
参考:Wikipedia(英版)
:不道徳ロック講座(新潮新書)
エアロスミス 温故知新Vol.9
エアロスミス 温故知新Vol.7