映画

クワイエット・プレイス:DAY1 音を立てずに生きるのは難しい

 ニューヨークやロンドンなど、海外の大都市に行くとものすごくうるさいと感じる。特にうるさいのが車。やたらとクラクションを鳴らす。渋滞中だろうとなんだろうと何かとクラクションを鳴らす。聞くところによると自分の存在を知らせるために鳴らすのだそうだ。

 また海外では地下鉄など電車の中もうるさい。むやみに大声で話す。電車や地下鉄の中でスピーカーから音楽を流しだす者もいる。もちろん携帯電話で話すのは普通。

 翻って日本ではクラクションを鳴らすのはよほど危険なことが予想される場面ぐらい。鳴らしまくるとドライバー同士の喧嘩に発展する。電車の中では小さな声で話すのがマナーだし、どうしても携帯電話で話す場合は口元を手で覆って話す。時々、新幹線の中などでビールを飲みながら声が大きくなるグループもいるが、基本的に静かにするのが日本の常識だろう。

音に敏感な人たちが増えている?

 日本人は音に対して敏感なのだろうか。少し前に公園で遊ぶ子供の声がうるさいから公園を閉鎖したというニュースを見た。ある地方の田んぼに「お宅の田んぼから聞こえるカエルの鳴き声がうるさいから何とかしろ」という張り紙をされたというのもニュースになった。風鈴の音がうるさいと言われた、ということも聞いたことがある。

 日本は元々、静けさをよしとする国民性だと思う。しかしなんだか行き過ぎているような気がする。一定数の人が生活していれば音は出るし、子供も集団になれば騒ぐ。時と場所をわきまえた音は普通に生活していればむしろ「生活感」としてわずらわしさなど無いと思うのだが、前出の極端な話はどちらかというと地域のコミュニケーションが薄れていることが原因のような気がしてならない。むしろ音が無い世界の方は気持ちが悪いと思う。

単純なSFパニック映画に非ず

 そんな音のない世界を描いたのが「クワイエット・プレイス:DAY1」だ。

 全体的にはH・G・ウエルズの「宇宙戦争」を連想させる。宇宙からやってきた(と思われる)生物がマンハッタンを襲う、という設定。宇宙戦争は人間を食料(養分?)にしている風な設定ではあるが、この映画では襲って人間をどうするのか、などの説明はない。またなぜマンハッタンなのかも曖昧。とにかく相手は音に反応して襲ってくる。音を立てないように行動し、話し声も出さず、声や音を出すときは雨音や雷鳴など自然の音でかき消す。そして相手は水に弱く、マンハッタン島から水上に脱出すれば生き延びられる、という設定。

 ここまでは単なるSFパニック映画の趣だが、この映画の主題はそこではないように思える。細かい描写は避けるが、どちらかというと主人公サムのこれまでの生い立ち、今後の生き方など、極限状態で自身の人生観をどのようにして実現するかということを描く映画のように解釈できる。ただただ観客を驚かせるだけの映画ではないことだけは確かだ。

余談その1

 実は映画を見終わった後で知ったのだが、この映画、地味にシリーズ3作目なのだそうな。その予備知識は全くなしで見たわけだが前作、前々作を知らずとも楽しめる作りでした。

クワイエット・プレイス 1作目
クワイエット・プレイス 2作目

余談その2

この映画に登場する猫ちゃんは名バイプレイヤー。ここにも注目されたし。

関連記事:エイリアン・ロムルス

ABOUT ME
なんべぇ
<国籍:日本> <性別:男性> <出身地:北陸> <年齢:還暦を越えました!> <職業:本業はスポーツイベントディレクター> <そのほか:仕事では地方出張が多い>