音楽

ミュージシャンとドラ〇グ エアロスミスは蘇った

 残念ながら海外ミュージシャンとドラ〇グの関係は切っても切れない関係にある。ドラ〇グから立ち直った人もいれば溺れて亡くなる人も後を絶たない。例えばビートルズと言えば今では教科書に載るほどの存在だが、ポール・マッカートニー自身が語るところによると1965年「HELP!」の頃のビートルズは「とにかくメンバー全員ラリっていて…」と語っている。彼自身、ウイングス時代の1980年日本公演来日時に成田空港で〇麻所持による即逮捕という、誰もが知る事件を起こした。この一件はビートルズ時代から久しぶりの来日だっただけにファンはもちろんだが音楽関係者もがっかりしたことは言うまでもない。そのほかキース・リチャーズやエリック・クラプトンのドラ〇グ歴も有名だし、それ以外にも例を挙げたらきりがない。

 その一方で日本と海外とは法律の違いがあると同時に、社会的な寛容度にも違いがある。海外では例え本人が公言しても、まあ、話題にはなるだろうが、謹慎などはほぼないだろう。一方で日本では過去の出来事として語られてもタレント自身が公言するなどは考えられない。大物であればあるほど、スキャンダル化して復帰することが難しくなる。それほど日本の社会ではドラ〇グに対して厳しい。

解散も秒読みかと思われたが…

 エアロスミスもドラ〇グで一時期危機的な状況なったバンドだ。危機原因がバンド内の不仲が先なのかドラ〇グが先なのかははっきりしないが、特にスティーブン・タイラーの依存症は重症と言っていい。自伝にも書かれているが15歳からすでに〇麻を使い始め、自分で栽培までやっていたという。アルバム「Rocks」でメジャーバンドになった頃はすでにドラ〇グ無しではいられなかったようだ。本人曰く「俺たちがロケットならコカ〇ンは燃料だ」というほど。こんな状況でバンドが長続きするわけもなく、スティーブン・タイラーに影響されてか、あるいはハードなツアーに疲れたためか、周りのスタッフも次々ドラ〇グに溺れて消えていく。結局、1980年にジョー・ペリーが脱退し、ジョー・ペリー・プロジェクトを結成。ソロアルバムを作り、ほどなくしてもう一人のギタリスト、ブラッド・ウイットフォードも去っていく。この頃のエアロスミスは新たなメンバーを迎え活動を継続するものの、とにかくアルバム完成度が低い。セールス的にも全く振るわなかった。1985年にアルバム「Done with mirrors」でようやくオリジナルメンバーそろい踏みとなるがやっぱり完成度は低かった。ファンは「おそらくこのまま解散だろうな」と思ったものである。

抜け出せない依存症

 エアロスミスの実質的な再出発と言えるのが1987年のアルバム「Permanent Vacation」ではないか。「Dude(Looks like a lady)」「Angle」といった復活後の代表曲となった曲もある。ビートルズのカバー曲「I’m down」やインストルゥーメンタル「The movie」など、アルバムの存在価値は高いと思う。なによりもスティーブン・タイラーのヴォーカルがノビノビしている。ジョー・ペリーのギターはソロアルバムではただただ力で押しまくるようなスタイルだったがこのアルバムではようやく彼の粗削りなメロディが活かされている。

 ただスティーブン・タイラーはこれ以降も依存症はそのままで、ツアーを行ってもすぐにリハビリ施設に戻る、ドラ〇グを絶ってもすぐに仲間からもらってしまう、の繰り返し。ツアーに精神科医を帯同させることもあった。実際、度々ツアーが中止になることもあり、依存症と無関係ではないことが想像できる。事実、2022年にリハビリ施設に入ったというからやっぱり一度ドラ〇グに溺れると簡単には抜け出せないのだろう。

 そんな中でもアメリカの社会は依存症には寛容だ。2007年に「I don’t want to miss a thing」が映画「アルマゲドン」の主題歌となり、2010年にスティーブン・タイラーはアメリカのオーディション番組の審査員をやっている。

 最近のエアロスミスはたい焼きのかぶり物をするなど、なんだかかつてのイメージから離れている感もある。何をやっても良いが生きていてなんぼ。もう年なんだし、無理しないでね。

(参考文献:神舘和典 著「不道徳ロック口座」)

ABOUT ME
なんべぇ
ハンドルネーム:なんべぇ 本業はフリーのスポーツイベントディレクター。すでに還暦を迎えた70年代の洋楽好き。仕事で日本各地の出張が多い。これまで訪れたのは42都道府県。洋楽を中心に映画と最近ハマっている西洋絵画を中心にレビューしていきたいと思っています。