思いつき話

紙媒体からデジタルへ。情報の取り方が変化していく。「新聞が無くなる日」

 新聞の購読を止めてから3年近くになる。それ以前は必ず新聞を購読する生活。子供の頃から家庭には新聞がある生活だったので、購読期間は相当長い方だと思う。そう言えば高校大学受験では新聞の社説を読んでおけ、とよく先生に言われたが、今はどうなんだろう? 読もうにも家に新聞が無い、という人も多いだろう。

やめた理由

1.定期購読料が高い

 特に最近は2~3年おきに値上げしていた。値上げの理由は原材料費が高くなったなど様々だろうが、どちらかというと売れなくなってきたので値上げしないとやっていけないというのが本音だろう。どうも新聞各社の経費感覚は一般企業の合理化という概念からは程遠いように感じる。

2.内容が不十分

 はっきり申し上げるが記者の質が落ちているとしか思えない。新聞自体が斜陽産業なのだから優秀な人材が集まりにくくなっている、という気配を感じる。

3.業界、会社の体質改善をやろうという気概を感じない

 上記2点に共通することだが「身を切る」という体質がほぼない。会社としては現状維持したい。多少荒っぽくても処遇はじめ内部事情について思い切って身を切るという覚悟がない(できない)体質。

 こういったことが見え隠れしている。以前の航空業界がこれに近かった。結果、JASは吸収合併、JALは倒産。こうなる前に何とかしないといけないが、そこをやろうとしない(やれない)。新聞業界にしてみればネット社会で新聞が担ってきた領域が奪われているのがわかっていながらこれと言った打開策を打たない。例えば自動車業界や小売業界では痛みを感じながらも体質改善しようと努力しているが新聞業界はこれをやらない。まあ、各社プライドが高い「お殿様」がそろっている会社ですからね。環境の変化についてこられないのでしょう。こういう業界は消えていくのが世の常である。

わかっているけど変えられない新聞社のジレンマ

 この流れに贖っている新聞社もある。残念ながら日本の新聞社ではなくアメリカのニューヨークタイムズ社。この新聞社はいち早くデジタル化しておそらく10年後には紙の新聞は無くなる、と自ら公言している。単に「紙からデジタル」に変貌したのではない。デジタルになるためには大変な内部の変革が必要なはずで、単純に考えても印刷に関わる部分を大幅に合理化(要するにリストラ)をしなければいけない。日本とアメリカでは会社の仕組みやそこで働く人の環境も大きく異なるので一緒にするのは乱暴かもしれないが、日本の新聞業界は「わかっているけど変えられないジレンマ」との戦いなのだろう。

新聞を止めてみて思うこと

1.しばらくの間は不安も感じる

 止めてからしばらくの間、不安も感じる。なんだか世の中から取り残されている感じ。ただ一か月もするとそれも慣れてくる。そして意外と困らないこともわかる。

2.情報の取り方が変わる

 結局、ネットからの情報を得ることになるのだが、ネット情報の中には新聞情報のように洗練されたものばかりではなく、玉石混合で間違った情報もある。この中から裏取りをしながら正確で自分に必要な情報を選ばねばならない。

3.知らなかった世界と無関心な情報の取りにくさ

 新聞は一方的に情報を載せるという点がネットでの検索と大いに違いがある。自分の知らない分野、興味のない分野に触れる機会は新聞紙面の方が圧倒的に優れている。

 新聞には新聞の良さは時間と人件費をかけて丁寧で正確な情報を提供するところにある。またあくまで印象だが新聞紙面で見たほうが記憶に残るように思える。が、その分、金額が高くなり、結果的に内容とスピードでネット情報が上回ってしまう。

果たして何社が生き残るのか

 新聞社では夕刊の廃止が後を絶たないが、夕刊を読むと事件や速報的な内容よりも人物や地域の取材で読み物的な内容が主流になっている。こういった内容について関心を持って読める人はそう、多くはない。

 また地方では全国紙の撤退も聞かれる。おそらく今後、全国紙は残っても1~2社だけになると思う。一方で地元に根付いている分、地方紙のほうが生き残る確率が高いかもしれない。でも電車で新聞を読んでいる人はほとんど見かけないし、今後若い人たちが新聞に回帰するなど、とても考えられない。今はFAXを使ったことが無い、見たことがない人も多いと思うが遠からず新聞もそうなるだろうな。

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なんべぇ
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