いろいろな技術革新によって生活がドンドン楽になっていく。わかりやすいのが車の世界。その昔はマニュアル車がほとんどで常にクラッチ操作が必要だった。今ではマニュアル車を運転したくてもマニュアル車そのものが無い。またカーナビシステムもほとんどの車に搭載されているので、いちいち路肩に車を止めて地図とにらめっこすることもない。高速道路の料金所ではETCが料金を精算する。そのほか細かいところではパワーウインドウ、パワーステアリング、急ブレーキでタイヤがロックしないABSシステムなどなど。おそらくそう遠くない未来には車の運転そのものが自動化して自動運転しかできない世の中になるだろう。車は好きだし自分で運転する機会が無くなると寂しいが、おそらくこれは避けられない。これまでは運転には上手い下手があったがそんな境界線もなくなる。
車の価値観が大きく転換する
こういう新たな技術が出てくると必ず出てくるのが「そんなもの必要なのか」という意見。もっと言うと人間の能力を退化させる、みたいな意見。
私はこの意見は当たらないと思う。その昔、鉛筆削りという文房具が出たとき、小刀で鉛筆が削れなくということを危惧する意見をよく聞いた。現代ではどうか。小刀で鉛筆が削れなくても誰も困っていない。おそらく今の感覚だと学校に小刀を持ってくるなどもってのほか、くらいの話だろう。鉛筆を使う場面すら減っている。代わりにあるのがシャープペンシル。以前は小学校低学年ぐらいまで鉛筆を使うように指導する学校もあったが、今では新入生でもシャープペンシルを使っている。なんならパソコンやメールの登場で文字を手書きする場面も減っている。もはや小刀で鉛筆を削れないことなど誰も心配していない。
要するに、こういった新しい技術ができると、それそのものの存在や価値観が変わってしまうのだ。当たり前だが変化が大きければ大きいほど、その価値は変わる。車の運転に話を戻すと、昨今の若者は車そのものや運転自体にあまり魅力を感じていない。地域によっては車無しで生活をするのが困難な場所もあるので一概には言えないが少なくとも昔よりも車に魅力を感じている若者は減っている。
有体に言うと、車はある程度の人数や荷物を乗せることができて、安全に動けばいい。値段が安ければそれに越したことはない。しかし当時は多くの人が車に移動手段以上の付加価値を求め、高級車やスポーツカー、希少車を欲しがった。いわば今の腕時計の存在に近いように思う。
世の中と車との距離感が変わっている。以前の新入社員は車の免許は必須と言ってよかったが最近は運転免許を持たない人も珍しくない。車メーカーにとっては悩ましい時代になった。トヨタの社長は今の時代を新たな大転換期、と言ったがまさにそんな時代だと思う。
自分で運転する楽しみは遠い過去のものに
自動運転には技術的課題や事故の際の責任問題など、まだ安全のための技術以外の課題もあるが、いずれこの時代は間違いなくやってくる。運転する楽しみ、などという感覚は遠い過去のものとなって車の存在意義、価値観も大きく変わる。そうなったとき、もはや単なる移動手段でしかなくなるのだろうか。エレベータやエスカレータに乗るのとさほど変わらない感覚か。あるいは別の付加価値が付いてくるのか。
さらに少々時間はかかりそうだが人間が運転していたころよりも安全になるように思う。車庫入れや峠でのコーナーリングの腕前も過去の遺物である。それどころか自分で運転するなど、もってのほかとなる。
「昔の車って人間が運転していたんだよ」「ええぇ~! ヤバっ!」
こんな会話が普通にありそう。