映画

猿の惑星/キングダム さらなる続編はあるのか

 最初に作られたのが1968年。猿人が支配する地球に人類が迷い込む、という奇想天外な発想に度肝を抜かれた。当時はアポロ計画があり、原子力という(当時は)夢の技術があり、人類が科学の力で自然を凌駕する時代である。そんな人類が奴隷のように猿人に支配されるというストーリーはとてもインパクトが強かった。初回作品はリアルタイムで見ることはできなかったが、最後のシーンにはとにかく驚かされた記憶がある。その映画からリメイクもの、リブートものを合わせると今回で10作目になる。

人間の傲慢さと差別意識

 ウィキペディアによると、この映画で一貫してテーマになっているのが人種紛争なのだそうだ。差別する者とされる者の紛争がテーマだ、という。シリーズ作品ごとに人間と猿人がその立場を変えつつも、差別側と被差別側のそれぞれの立場を描く。

 個人的にはこの映画のテーマは人間が持つ傲慢さを描いているのではないかと思う。人間は知能が高く、技術力がある一方で、残忍さ、自然に対する不敬という側面がある。また猿人は人間ほど高度な技術力はないにしても人間が持つ危うい側面に素直に気づける存在だ。作品によって善悪の立場は変わるが、人類の傲慢さはどの作品も変わらないように見えるのだ。その傲慢さがゆえに差別を生む。

今まで以上に人間臭い猿人

 最新作「猿の惑星/キングダム」。詳しくストーリーは書かないが、これまでのテーマである「人間vs.猿人」という構図ではなく、どちらかというと猿人同士の種族間の争いが主たるテーマで猿人がこれまで以上に人間臭くなっている。同じ猿人でも種族が違えば争いごとが起きるというのは、人間の価値観をそのまま猿人に当てはめたような構図に見えた。

 一方で人間は、というと原始化した人間と賢いままの人間と2種類登場する(なぜ賢いままなのかはあまり説明がないのだが)。エンディングに近くなると賢い人間が重要な役割を担うが、話の全体の位置関係としては側面的な立ち位置になる。

 また今回の映画では猿人の描き方として、彼ら自身を愚かな存在として扱う意識、見下したような意識が見え隠れしている。この時代の猿人が築いている社会や知識が所詮、人間が残した遺産を応用、あるいは文字通り猿真似しているだけなのだ、というような描き方に見えるのだ。

 エンディングでは人間が再び復活を示唆するような終わり方となった。続編はあるのだろうか。新たな展開はあるのか。その時、人間と猿人との関係はどうなるのか。楽しみはまだ続きそうだ。

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なんべぇ
ハンドルネーム:なんべぇ 本業はフリーのスポーツイベントディレクター。すでに還暦を迎えた70年代の洋楽好き。仕事で日本各地の出張が多い。これまで訪れたのは42都道府県。洋楽を中心に映画と最近ハマっている西洋絵画を中心にレビューしていきたいと思っています。